この記事の目的
筆者が監査法人を辞めたときの転職のコンセプトと、それを実現させるための行動を共有すること。
監査法人を辞める決断
公認会計士の唯一の存在意義である「監査業務」。
もちろん2項業務もあるので職域は広いが、会計士であるが故に携われるのはあくまで「監査業務」である。
これを離れるという決断をするのは、監査法人の在籍者としてはとても重大なことである。
ただ、この世界は「Up or Out」である。
将来が見えたところで心を決めて「Out」すれば外でチャンスを掴める(むしろ中で成功するよりも大きな成功が掴める可能性もある)が、恐れて会社にしがみ付くと延々と底辺をさまようリスクが高くなる。
もちろん、長く在籍すればどこかで「Up」の可能性も十分にあるが、運と実力を加味して戦略的に撤退することも重要であったりする。
この意思決定については、特に監査法人での経歴が長くなればなるほど、そして年齢が高くなれば高くなるほど及び腰になりやすい。
そもそも、会計士はキャリアの幅が広いと言われており、日常的に「センセイ」扱いされているので、どうも鈍感な人が多いイメージだ。
この記事が退職が見えてきた会計士の転職のヒントになれば幸いだ。
筆者が退職に至るまで
筆者は入社時の年齢が26歳と高齢だった。新卒なら22歳なので、4歳差のあるスタートだった。
これだけ遅れたキャリアとなったのは、筆者は「最初から会計士を目指していた組」ではないからだ。筆者は新卒で証券会社に就職しており、2年程度でやめて翌年論文式合格、その翌年入社という流れだった。
飛び級でもしない限りイケてる路線には乗れない。会計・監査マニアでもないし、上司に可愛がられるような気質でもない。そして、そもそもやりたいことは別にあるので、遠くない未来に転職するであろうということは入社当時に既に感じていた。
ところで、業界内には「辞めるタイミング」というものがあり、それは主に下記の通りである。
・修了考査合格
・公認会計士登録
・主査経験1年
・上場会社主査(インチャージ)経験1年
・マネジャー経験1年
会計士試験の論文式に合格しただけでは会計士になれない。実務要件を満たし、実務補習所の単位を取り、修了考査に合格して初めて会計士に登録する権利を得る。
そのため、「修了考査に合格してしまえばもう会計士登録するだけだから辞める」とか、「会計士として登録したから辞める」という判断をする人がいる。これが適応障害ですぐに辞めた人を除いた中で最も早い部類の退職の決断だ。
しかし、修了考査に合格してみるとわかるが、修了考査合格くらいの年次の経験値では全然「独り立ち」する能力を持っていない人が大半だ。
そのため、「主査という現場監督経験を回せるようになったら辞める」という人が出てくる。
ただし、最初に任される会社法監査等の主査は守備範囲が狭く、世の中が一般的にイメージする「監査」というのは上場企業の監査、すなわち金融商品取引法監査であるため、「金商法監査の主査を回せるようになったら辞める」という人が出てくる。
しかし、金商法監査の主査をやるとわかるが、今度はパートナーやマネジャーの高い経験値を持ってこそ現場は回っているんだと気づくので、「マネジャーとしてクライアントとの間の意思決定の責任を負う立場を回せるようになったら辞める」という人が出てくる。
ここから先は割と政治の世界で、年収も評価によって大ブレするようになるので「評価」によって辞める・辞めないの意思決定が強く動くようになる。
年齢的にも新卒合格ではない人はマネジャーが見えてくる頃には同時に転職限界年齢と言われる35歳が見えてくるので、迷いながら日々に忙殺されるうちに、辞めようにも辞められなくなってくる人も現れる。
筆者は当初は会計士登録時点で辞めようと思っていたが、途中でマネジャーロールを1年経験したら辞めようという考えに変わった。
しかし、結果としてはマネジャー昇格前に辞めることとなった。
自分自身については予想通りの昇格ペースで、同期との対比で早くも遅くもなかった。
しかし、マネジャーが見えてきた頃には組織のピラミッドがマネジャー過多となっていて、ハチの張ったピラミッドになっていた。
そのため滞留しているシニアが多く、筆者マネジャー昇格見込年齢は37歳だった。
状況が悪いとはいえ、流石に遅すぎる。
そこまで待てないし、待ってマネジャーになってもどうせ1年で辞めるのであるから、32歳の時に「もうここで辞めよう」と決断した。
こんなことになるだろうという予想のもと、転職準備は30歳くらいからコツコツやってきていたので、決断してからの動きはスムーズだった。
退職時のプロセス
「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があるが、この界隈は特にこの心的態度が大切だ。
とてもニッチな業界であるので、転職しても度々同業や元同僚に遭遇することになる。
「アイツはまあまあだったかな」くらいの評価で去れるならまだしも、「アイツはやめた方が良い」という評価を受けると、色々なところで照会をかけられては損するということが連続する。
そのため、「キレイに辞める」ことが大切だ。
監査計画のうち、人員リソースのアサインは重要な問題であるので、中期アサインのサイクルが決定する前に退職を申告して次回のサイクルに入れないようにしてもらうか、そのサイクルの末で辞めるくらいの心遣いは最低限必要だ。
主査など責任のある立場であれば、有報提出時点など一定の区切りの良いところまでは続けるとか、早めに退職を宣言して後任を育てるとか、組織が淀みなく継続するための努力も必要だろう。
また、出向や長期間の社外研修などを経験させてもらった場合はそれに報いる必要もある。人によっては「禊」と言って、その期間と同期間は社内に残るべきだと主張する先輩もいた。
上記は例示列挙であり、心がけるべき点はこれらに限らないが、退職を決めた後はどうしたら残る人達のためになるかを考えて行動すれば良い心象を持ってくれるだろう。
転職先の探し方
筆者には転職のコンセプトがあった。それは下記の通りである。
転職のコンセプト
・会計、監査の経験を活かしながらも、それらに縛られない働き方をしたい
・エンタメ、Tech系など、そもそも興味のある分野に行きたい
・その仕事が成功すれば経済的自由になれる仕事をしたい
筆者はもともと大学でマーケティングを専攻しており、在学中にベンチャー企業でアパレルECサイトの企画や仕入営業などを行っていた。
そもそもアイディアマンとして働きたいという願望があった。
それがマーケティングの有名ゼミに落ちて、ノンゼミもイマイチだしと思って枠が余っていた金融工学のゼミに入ったところからガラッと進路が変わって、気がついたら何故か会計士になっていたという謎人生である。
そろそろあの頃の自分の夢を取り戻そうという思いで、上記のコンセプトで転職活動を始めた。
初期段階
筆者の転職活動は、いわゆる「公認会計士の転職」としてよく聞くエージェントに登録するところから始めた。
ちょうどその頃にVCのキャピタリストとの出会いがあったり、VCの監査業務をやってたりしていたので、ニュービジネスに関わりながら大きな成功報酬を得られるチャンスがあるVCに対する憧れがあった。
エージェントにその旨を伝えたところ、「案件あります!」との回答が来たので、ウキウキしながら面談に向かった。
しかし、オフィスに行ってみたら一般的な会計士の転職、すなわちFAS、監査法人、内部監査業務、税理士事務所の紹介しか受けられなかった。
「キャリア的にVCのフロント業務というのは難しい、だからコレはどうでしょう」という感じで、ハメコミ営業が始まり、うんざりして話を切り上げて帰ってしまった。
この後も数人のエージェントと会ったが、みな同じような反応だった。
「なるほど、VCは今のキャリアじゃ難しいのか」と理解したが、他に紹介される案件も全然興味を持てないし、また繁忙期が始まるからこれ以上転職活動ばかりに時間も割けない。
これで一旦筆者の就職活動は頓挫した。
中期段階
それからしばらく経って、証券会社時代の同期で監査法人でも同僚だった友人(同じキャリアの人が他にも数名いる)から、FASに転職した旨の連絡を受けた。
彼から「ココ良いよ」と紹介を受けたエージェントは「アンテロープ」だった。
金融・コンサルティング業界専門のエージェントだったので、そんなに縁もないような気がしたが、とても推していたので登録してみることにした。
確かに友人の言う通りで、とても満足のいくエージェントだった。ターゲット企業の組織や役員、ワークスタイルの話まで事細かに情報を持っており、履歴書・職務経歴書・面接の指導力も高い。
ここで色々相談した結果、一つの答えとして出たのが「FAS」だった。
FASは一般的な会計士専門エージェントでも紹介されたネタではあったが、これまでのエージェントとのやり取りも含め、やはり監査法人オンリーのキャリアでは道幅が狭いということはよくわかった。
直行で行きたいところに行く転職ではなくても、道幅を広げるという意味でFASを経験しておくという必要性を感じた。
また、年齢も年齢で、30歳を過ぎて転職限界年齢と言われる35歳が近づいてくるのもあり、早急な意思決定が必要であることも感じていたので、前向きに検討することを始めた。
後期段階
それからまたしばらくして、監査法人からベンチャー企業に転職した同僚と話している中で、別の転職サイトの紹介を受けた。
1つ目がビズリーチ。
ビズリーチという名前はよく聞くが、会計士なんてニッチな世界の転職なんてあるのだろうかと思っていたら、これが沢山あるのだ。今までで1番あるのではないかと思うくらいに案件があった。
今までのようにエージェントに登録して、エージェントが選んだ案件を打ち出して持ってきて並べられるのではなくて、自分で探せる。業種も規模も様々で、かなり選択の幅が広がった。
さらに、ビズリーチの中で企業から直接オファーが来たり、エージェントからオファーが来たりして、個々のエージェントからも案件と紐付きでオファーが来る(そうでないエージェントに対しても、言えばそうしてくれる)ので、オンラインでポチポチしているだけで会社が選べる。面倒なハメコミ営業を受ける必要もない。
2つ目がWantedly Visit。
こちらはベンチャー企業が多く、他の転職サイトでは見ないような案件が多数見受けられる。例えばライブ配信アプリの会社など、最先端の面白い会社が多数求人を出している。また、企業から直接オファーも来るので、登録しておけば知らなかった興味深い業界の会社から声がかかることもある。
意思決定
最終的に筆者はFASに行くことにした。
理由は、Wantedly VisitでCFOもしくはその候補を探しているというニュービジネスの面談を受けに行ったところ、「投資銀行出身者が欲しいんだよね〜」とやんわり断られたことで、FASに行ったところで投資銀行の経験を得られるわけではないけれど、FA業務は共通だし、やはり各エージェントに言われた「道を広げる転職」としてのFASを挟むべきなのかもという思いが強くなったためだ。
その後
FASに移ってからは主にFDD(財務デューデリジェンス)やセルサイドのサポート業務などを中心に行なった。いずれはVAL(バリュエーション)やFA(フィナンシャルアドバイザー)業務もやりたいと思っていた。
FDDはやっていること自体は正直あまり監査と変わらないので目新しさはそこまではないが、M&A全般のプロセスを意識するようになったり、監査とは違う観点で分析を行なったり、レポーティング作業が加わることでExcel遊びばっかりしていた頃より表現の幅が広がったりと、経験の蓄積を感じることができた。
仕事の緩急は監査法人よりもはっきりしていて、何日も連続で終電を超えたり、ひどい時は何日も連続で朝日を拝んだりすることもあったが、プロジェクトの端境期は連続で休暇を入れることができたりしてワークライフバランスは改善した。残業時間全体でも監査法人にいた頃より減少し、自分のやりたいことに投じる時間もできた。
そんな感じでジェットコースターのような日々を過ごしている中、1年もしたところで偶然友人伝いに筆者の転職のコンセプトを満たす会社のオファーを受けることになった。
しかも、給与水準も破格の条件だ。このチャンスは逃すわけにはいかない。
せっかく採用してくれたFAS会社には申し訳ないが、1年3ヶ月という短い期間でそこも去ることになった。
とは言え、そのFASの会社ではそもそも「人材の平均耐用年数は2年未満」と言われていた。ただ続けるだけならばそこまでストレスもないので、そこまで辞める理由もないはずだ。おそらく筆者と同じように他にやりたいことがあって「道を広げる転職」としてくる人もそれなりに多いからなのだろう。
また、結果としてFASに行ったメリットを活かした転職とはならなかったが、この転職チャンスが現れていなかったことを考えると、道幅の広がるとても良い選択だったと思う。
例えばビズリーチで経営企画ポジションのオファーがたくさん来るようになったので、FDDをやっただけでもこんなに違うのかと思った。
(補足)35歳が転職限界年齢というのは本当か?
35歳という年齢については、筆者が転職活動する中では間違いなくどのエージェントも意識していた。
ただし、これが転職を決めさせるための営業トークとして使われているという面も否定できないので、どれくらい正しいかと言われると難しい。
これについて、筆者が感じた肌感覚ではやはりその辺りの年齢のどこかに節目はあると感じている。
まず、筆者の監査法人時代の上司で40歳過ぎで思うような転職ができていない人を数人見ているし、実際筆者が転職したFASでもオールドルーキーを見たことがない。
もちろん紹介など「信用」をベースに人伝いで来る案件なんかは年齢制限はないだろうが、一般的な転職市場における転職については年齢を意識しておいた方がベターであろう。
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